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もうすぐ夏休みだが,自分が英雄になれるわけではない


グリコポッキーアーモンドくらっしゅなのだ~

―仲村真理(安達哲『さくらの唄』より)



グリコポッキーアーモンドくらっしゅなのだ~っ…。
グリコポッキーアーモンドくらっしゅなのだ~っ…。
…。

タイトルに意味はありませんが,本当に伝えたい事はタイトルにあります。いつも。



さて,リクエストを頂いて記事を書く試みの第二弾2回目です。今回のテーマは「日常の思考をどのようにしてブログ記事に落とし込んでいるか」です。すこし仰々しいテーマ名になってしまいましたが,要は「どやってブログ記事を考えているか」ということです。


ブログ記事のテーマを考える際のみならず,私は日常的に抱く「違和感」を大切にしています。この「違和感」がある種の思考の源泉となり,ひいてはブログ記事の執筆につながります。私がこの「違和感」を思考の出発点として意識し始めたのは,國分功一郎という方の言葉に影響を受けたからです。

考えることの出発点はどこかというと、僕らが日常的になんとなく得る違和感ですね。「なんかおかしいな」「なんかイヤだな」という感覚。ドゥルーズは「何かに不法侵入を受けた時に人はものを考える」と言ってますが、まさしくそうだと思います。そしてそういう「不法侵入」はあちこちでいつも起こっている。ところが人はそれを押しつぶしてしまうのです。
(中略)
大人は子どもに「考えなさい」と言う一方で、子どもがものを考えて「それは変じゃない?」と異議を呈してくるのは面倒だと思っている。だから子どもに「これは変な事じゃないんだよ」という無言の圧力をかけてくる。こうして培われてしまった〝自分に嘘をつく習慣〟を変更するには、違和感を大切にするしかありません。「変だな…」と思ったらそれを忘れない。そこから少しずつ考えるという出来事が始まるのです。

― 國分功一郎 准教授インタビュー(http://article.researchmap.jp/column/201302_2/



私はこの言葉をとあるラジオ番組を通じて知りました。そのラジオのパーソナリティーもしきりに「自分に嘘をつくなよ」といっていました。


このブログにおいて,記事の九割以上はペン回しに関する話題です。ペン回しに関する情報を得る(タイムラインを眺めたり,CVを鑑賞したりする)中でふと得た違和感。それを契機として,最終的にブログ記事に落としこみます。具体的には,まず得た違和感を頭のなかで言語化し,なぜ自分がそう思ったのかを自分自身に問います。その作業を何度か繰り返すと,自然と漠然とした記事の流れが想定できます。そしてある程度何が書きたいのかが固まったら記事の本文を書き始めます。そして最後に一番最初の文言(とタイトル)を考えて終了です。実は,この文言を考える作業が一番頭を悩ませます。「最近は曲の歌詞を引用しすぎてるな…」とか,誰も気にしていないようなことを気にしています。誰か私の代わりに考えてくれたら嬉しいです。


さて,私は「得た違和感を頭のなかで言語化し,なぜ自分がそう思ったのかを自分自身に問うことでブログ記事を書く」と記述しました。その証拠に,自分でテーマを考えた過去記事は,大抵「なぜ~は~なのか」といった形式のテーマ設定となっています。例えば拙著【カラーテレビにしたって 色はいろいろあるでしょ 】
http://hensachiiranai.blog54.fc2.com/blog-entry-143.html)は「なぜ最近のスピナーは没個性的であると言われてしまうのか」というテーマ設定で書いたものです。これは「最近のスピナーは没個性的である」という発言を見かけた際に得た違和感を疑問形式にし,更にその疑問に対する答えを客観的事実を参考にしつつ書きあげた記事です。


このように私は「違和感」を大切にし,その違和感に対して何度も「why?」を突きつける事によってブログ記事を書いています。更新頻度は月に一回程度なので,ネタをストックしたりすることはありません。違和感を抱き,それがある程度ブログ記事に値するような内容であればすぐに記事にします。長文を書くことはないので,下書きやプロットのようなものは作りません。書き終えたら取り敢えず保存して,一日寝かせます。一日経ってから読み返した時に論理的に破綻している部分を削ったり付け足したり,誤字脱字を修正したりします。そんな感じでこのブログの記事は出来上がっています。


以上,「日常の思考をどのようにしてブログ記事に落とし込んでいるか」というテーマで記事を書かせていただきました。リクエストを下さったPragueさん,本当にありがとうございました。(加えて,いつもコメントありがとうございます。本当に感謝しております。)有益な情報の提供にはなりませんでしたが,私が何をいっているのかを少しでも分かっていただけたのならば嬉しいです。




以上

No title

Pragueです。
漠然としたお題を課して申し訳ないと思っていたのですが、想像以上にしっかりした答えが返ってきて驚いています。

知らないと思いますけれど僕もブログを書く身なのですが、意外とその過程に大きな違いがあったことに驚きました。
まず僕の場合、書いた記事を一晩寝かせて推敲するなんてことは絶対にしません。これは自分が億劫という面もあるのですが、(うまく伝わるか分かりませんが)新鮮さを大事にしているからです。自分の綴った文章は、生まれ落ちた瞬間が一番自分らしさが出ると思うのです。
例えば徹夜で書いた文章にはその瞬間にのみ生まれるものがあり、それは文化的な生活を送る自分の文章とはまるで違ったもののようです。ブログは自由な場ですから、そういった"瞬間"を切り取って言葉を吐露したいという思惑があります。

それと、僕からしてみればTheCCAWさんは他のブロガーの方々と比べてみてもかなりの文量をブログ記事にしていると思うのですが、きっぱり「長文を書くことはない」と断言されたことに驚きました。

Re: No title


>>Pragueさん

いつもコメントありがとうございます。

Pragueさんのお書きになる文章を読むと”ライブ感”のようなものを得る気がします。また,「ブログを書きたいと思ったその時の自分」を上手く切り取って文章に表していらっしゃるような印象を受けます。特にオフレポートなどにおいてその印象は顕著で,Pragueさんがその時に感じていた場の空気を回想している様子がひしひしと伝わってきます。

Pragueさんのブログは,毎日楽しく拝読しております。今では寝る前にPragueさんのブログを拝読するのが習慣になっております。僭越ながら一読者として「是非,これからもがんばって毎日更新を続けてください」という気持ちをお伝えしたいと思います。

因みに,私が想定するプロットや下書きを必要とする「長文」とは,大体1万字以上の文章を指しています。冗長な文章を書いてしまうこともありますが,このブログの記事は少なくとも5千文字以内に収めるよう努力しています。(1万字以上の文章をしっかりと書ける自信も技量も全く持ちあわせていませんが…。)やはり長い文章は読む気がしません。ましてや素人の書く文章ならなおさらです。そのため,なるべく簡潔な文章を意識して記事を書いています。それでも「長い」と思われてしまうのは,完全に私の能力不足が招いた結果だと思っております。

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