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私のペン回しの歴史~TheCCAW編~


もしも君が,ほんとにこの話を聞きたいんならだな,まず,僕がどこで生まれたとか,チャチな幼年時代はどんなだったのかとか,僕が生まれる前に両親は何をやってたとか,そういった《デーヴィッド・カパーフィールド》式のくだんないことから聞きたがるかもしれないけどさ,実をいうと僕は,そんなことはしゃべりたくないんだな。

―『ライ麦畑でつかまえて』(J.D.サリンジャー著,野崎孝訳)より



しゃべりますよ。今回に限って。



テーマのリクエストを頂いて記事を書く試みの第五回目です。今回は「ペン回しを始めてから現在までの経緯を当時の生活なども交えて書いてほしい」というご意見に沿って,記事を書きたいと思います。


とは言ったものの,冒頭の引用句からもお分かりになるように,私は自分の経歴について語るって小っ恥ずかしくて嫌いです。(まずそれ以前に「お前が生きていようが死んでいようがどうでもいいくらい,お前には興味ない」という人が大半だということも分かっていますが,それでもやはり恥ずかしいです。)加えて,

『私のペン回しの歴史』より【もっと詳しい歴史】
http://www7b.biglobe.ne.jp/~hatsune95/history.htm

『プラハの休日』より【私のペン回しの歴史 ~Prague編~】
http://matsu222.blog28.fc2.com/blog-entry-421.html


のような非常に面白い存在の前には,どんな言葉も無力な気がしてならないのです。なので,面白くなかった時の言い訳を作るためにも,肝心な部分は適当にはぐらかしながら書いていきたいと思います。ごめんなさい。



◆ペン回しとの出会い
「ペン回しとの出会い」なんていう気取った小見出しを書くだけで顔から火がでそうです。さて,このブログには何度か書いたことがあるかと思いますが,私は「他人とは違う自分ってカッコイイ」みたいな価値観を持つ,結構痛い人間です。幼少期に伯父から「君は物事を他人と違った角度から捉えていて素晴らしい」と褒められたことに端を発して「他人とは違う自分」に美徳を感じるようになりました。特に小学生の時分はその傾向が強く,行動のほぼ全てが「特別な存在になりたい」という思考に直結していました。そんな中で「何か他人とは違った特技を身に付ければ特別な存在になれるはずだ。そうなれば,スクールカーストでも上位の存在になれる。」と思い立ち,始めたのが「ペン回し」ではなく「コインロール」でした。
※こういうやつです。(https://www.youtube.com/watch?v=wbokdZh7_Gg
確か小学六年生の二学期くらいの事だったと記憶しています。しかしこれは1週間程で挫折しました。挫折した理由はよく覚えていませんが「これができた所でそんなにカッコよくない」となんとなく思ってしまったからだと思います。そこでなぜか白羽の矢が立ったのが「ペン回し」です。「『コイン回し』ができなくても,『ペン回し』なら上手くなれるんじゃないか」と思い立ちます。「ペン回し」という行為を何処で知り得たのかは覚えていませんが,少なくともこの時分には既に「ペンを回す」という行為を認識していました。
それからインターネットで「ペン回し」と検索し,一番上に出てきたサイト(たしか『ペン回し資料室』)を参考にしつつ,ノーマルを練習しました。それから暫くは寝ても覚めてもノーマルを練習する日々が続きました。


その後,一通りの基本技(ノーマル・フェイクトソニック・ガンマン)を習得したところで少し飽きが来ます。それら3つの技を習得しただけで「ペン回し」というものをほぼマスターした気でいたのです。葦の髄から天井を覗くとはこの事かもしれません。ということで,ここで私のペン回し熱は一時的に冷めます。



◆中学時代
中学1年生の時に「JapEn1st」を見ます。烈々たる楽曲とペン回しのコラボレーションに,すっかり心奪われました。特にSunrise氏の『Thumbspin 13.5』と,そこで流れる「才能の限界はまだ先」という歌詞との親和性に魅せられてしまいました。当時「ペン回し資料室」に記載されていた「トリプル」がペン回しの世界における回転数の限界だと思っていた私は,13.5回転という脅威の回転数を眼前に突きつけられ,雷に打たれたような気分でした。この出来事を機に,基本技が出来るだけで満足していた自分を恥じ,少しでも「JapEn1st」に出演している人たちに近づけるように努力することを誓いました。「私のペン回しの歴史」や「良い子のペン回し教室」をはじめ,ペン回し資料室・惑星・ステーション・道場・開発所・喫茶店・王国・学園etc. 様々なサイトをめぐって幾つかの技を習得していきます。(余談ですが,ペン回し王国の掲示板にはよく書き込みをしていました。)そして,ちょうどこの時期くらいから「改造ペン」という存在に興味を抱き始めました。たしか一番最初に作った改造ペンは『Hyper Lakubo V6 (http://annkou2.blog105.fc2.com/blog-entry-21.html)』だったと思います。そして改造ペンを駆使して,ある程度の基礎技とコンボを習得した時には,すでに中学二年生になっていました。


さて,中学二年生になってからの事は…あんまり思い出したくないですね。多くの14歳と同じように,アニメや漫画等の「オタク」的なものに傾倒し,碇シンジのように主体を求めて,そして主体を拒絶していったように思います。そんな心が不安定な時期において,私はどのようなペンスピライフを送っていたのか。これもまた多くの14歳のスピナーと同じように,「ペン回しができる自分は特別なんだ」と思い込み,自分のペン回しスキルを吹聴して回っていました。当たり前のように学校に改造ペンを持って行き,授業中でもお構いなしにペン回しの練習をしていました。そのような愚行を繰り返した挙句,学校内において私はすっかり「ペン回しの人」という存在になっていました。この時期は,様々なメディアでペン回しが取り上げられており,私自身のペン回しに対するモチベーションが一番高かった時期かもしれません。改造ペンも沢山作りました。無駄にしたペンの数だけ親に怒られました。家でもペンをずっと回していました。床につけた傷の数だけ親に怒られました。今となってはいい思い出です。(と言いたいところですが,今もなお床に傷をつけては怒られる日々が続いているので,いい思い出は継続中です。)


さて,そんな今以上に「痛かった」私ですが,中学三年生の時に転機が訪れます。とある動画を見て,改造ペンを回すことをやめてDr.GRIPのみを回し続けていくことを決心したのです。その契機となったのがこの動画です。



この動画を見た時に,私はドクグラーになることを決めました。洗練された無駄のない美しい動きに完全に魅せられました。加えて元来有している「自分は特別」的な思考がここでも発揮されます。つまり「多くのスピナーが改造ペンを回している中で,未改造ペンを回す俺ってカッコイイんじゃないか」と思ったのです。こうして考えると全然成長してませんね。何はともあれ,私はドクグラーになることを決意し,それまで持っていた何本もの改造ペンに別れを告げます。(私に影響を受けてペン回しを始めてくれた同級生にあげました。)そして旧型Dr.GRIPを手に,日夜Dr.GRIP回しの練習に励みました。この時から「ペン回しを利して学校内で特別な存在になる」という目的から,「Dr.GRIPを用いたペン回しによって,ペン回しの世界において特別で目立った存在になりたい」という目的へと変化していきました。なんか言葉にしてみると馬鹿っぽいですね。



◆高校時代
高校に入学してからも,ペン回しに対するモチベーションはそこまで下がることはありませんでした。ですが「ペン回しを利してクラス内で目立つ」という目的から「Dr.GRIPを用いたペン回しによって,ペン回しの世界において目立った存在になる」という目的へと変化が生じてからは,自分のペン回し技術を吹聴する必要はなくなりました。しかし,今度はペン回しの世界において自らのスキルを誇示していかなければなりません。つまり,ハンドルネームを持ち,インターネットにペン回しの動画を投稿していく必要があると考えました。まず,中学の卒業祝いで貰ったお小遣いでWebカメラを買いました。(確かロジクールのQcamE2500だったと思います)そこで初めてカメラを通して自分のペン回しを見たわけです。そのまぁなんと下手くそなこと。それまでは自分のペン回しに自信を持っていた私ですが,一気に自信がなくなりました。それからは「カメラを通して見た時に映えるペン回し」の練習に励みました。その時期の動画はこちら。


―私のHDD内にある過去封印ディレクトリより

こんな感じで毎日撮影しながらペン回しの練習をしていました。ああ恥ずかしい。


高校二年生の頃にブログを始めます。ペン回しも含め,自分で自由に表現できる場所が欲しかったんだと思います。現在はあまりにも醜い内容のため非公開にしていますが,一番最初の記事を投稿した日付は2009年の6月25日です。内容は「やっとブログ始めたぜ,イェーイ」みたいな感じです。それから少しして,このブログを通して生まれて初めてペン回しの動画をネット上に投稿することになります。たしか最初は「らくちんFLVメーカー」で動画を投稿しました。ちなみに,その時の記事にはこんなことが書いてありました。

さて。ペン回しというのは「ペン」に重点を置くか「回し」に重点を置くかで
多少異なってくる。、あくまでペンをまわすのか、形にとらわれず回し
を追求するのかなど意見は様々。俺はどちらかというと前者派で
彼のHIDEAKI氏が提唱した、「無意識のうちに行われるペン回し」
なるものに、強く共感をもった次第。

とにかく、俺は毒栗でがんばってみますよ・・・

撮影してみて、毒栗っていうのは魅せるのが難しいっていうのがよくわかった


ごめんなさい。

さて,動画を投稿したはいいものの(当たり前ですが)誰からも反応がありませんでした。そこでYoutubeに動画を投稿することを思いつきます。Youtubeであれば,全世界のユーザーからの評価やチャンネル登録,コメントなど,何らかの形で反応がもらえると思ったのです。(ちなみに,このときYoutubeに登録したハンドルネームが今でも使用してる「TheCCAW」というハンドルネームです。)そして私の思惑通り,Youtubeに投稿した6本目の動画で,海外のスピナーと思しき人物からコメントをいただくことができました。
(参考:https://www.youtube.com/watch?v=QElSygXw3d8


気を良くした私は動画の投稿を続けます。そんな折に,なんとCVの出演依頼の話が舞い込みます。依頼主は,私の動画にはじめてコメントをくれたJamie Enns氏です。この時の喜びは尋常ではなく,私は二つ返事でOKをしました。かくして私は生まれて始めてCVに出演する事になりました。CVの名前は「Treasure」です。JEBからはKEN氏やTurugi氏なども出演されている,結構豪華なCVです。そこに完全に無名の私が出演しました。今思うと場違いも甚だしいですが,当時は初めてCVに出演出来たことに狂喜乱舞しておりました。さらに,このCVが公開された直後に更新したブログの記事に,BoongさんとFire@Foxさんからお褒めのコメントを頂き,更に図に乗りました。それから少しずつこのブログを訪れてくれるスピナーが増えていきました。それからしばらくして,再びCVの出演依頼がありました。そして出演させて頂いたCVが「AGQ 2nd(https://www.youtube.com/watch?v=jbjeDGOyChY)」です。二回目のCV出演でしたが,この時も一回目と同様に「自分がCVに出演出来た」という喜びに満ち満ちていました。


その後しばらくして,再びCV出演の依頼があります。「T」というハンドルネームの方からの依頼でした。「T」さんはYoutube上に拾いCVをアップされている方で,「旋祭Ⅲパロ的なもの」という動画を拝見して彼のファンになった私は「T」さんのチャンネルを"チャンネル登録"していました。そんな「T」さんからの「初めてCVを作成するので,出演して欲しい」とのCV出演依頼を快諾した私は(いつにも増して)画面が暗い動画を提出しました。(多分当時画面を暗くするのがマイブームだったんだと思います。)そして出演させて頂いたのが「Tethnic1st」です。そうです。「T」さんとは,現在は敏腕編集者として名高い「TMrW」さんです。私は完成したCVを拝見し,そのクオリティの高さに驚くと共に,暗い画面の動画を提出したことを後悔しました。TMrWさん,ごめんなさい。このCVへの出演を機に,比較的多くの方々に「TheCCAW」というスピナーの存在を認知していただいたのではないかと思います。


2011年1月1日にTwitterを始めます。あまりスピナーとの交流がなかったので,スピナー友達を作ろうと思って始めたんじゃないかと思います。Twitterの開始にともなって,ブログの更新頻度もだんだんと減っていきました。以降は主に「youtubeに動画をアップロード」「CVの出演依頼があれば出演用動画を撮影」「気が向いた時にツイート」といった感じのスピナー活動におけるルーティンが出来上がりました。CVへの出演希望をせずに「出演依頼を待つ」といったところに傲慢さを感じるかもしれませんが,消極的な性格である私にとって,CVへの参加希望をするという選択肢はあまりにもハードルが高すぎました。加えて,当時はJEBのアカウント登録もしていなかったために,参加を希望する術がなかったことも影響しています。ちなみに,この時期に出演させて頂いたCVで一番印象深いのが「TMrW1st(https://www.youtube.com/watch?v=xltIGTtU0kQ)」です。「10秒程度のなるべく短い動画を提出して欲しい」とのことでしたので「なんとか10秒で目立つようなことをしたい」と思い,粗く奇抜な内容のFSを提出しました。出来上がったおしゃれな編集のCVを拝見し,こんなに素敵なCVに出演させていただけたということに感謝しました。TMrWさん,本当に有難うございます。



◆大学生時代と今
時系列的には少し間が空きますが,大学生時代です。愛知の大学に進学しました。念願の一人暮らしです。誰にも文句を言われることなく,ペンを回し放題です。大学生になっても「youtubeに動画をアップロード」「CVの出演依頼があれば出演用動画を撮影」「気が向いた時にツイート」という行動パターンは崩れることなく,弱小スピナーとしてマイペースに活動を続けました。CVにも何本か出演させて頂きました。中でもTMrWさんからは何度もCV出演の依頼を頂きました。本当にTMrWさんには頭が上がりません。


愛知に移り住んでから3度目の春を迎えた頃に,私はJugem氏が主催する「名古屋オフ」への参加を決意します。ペン回しを始めた頃から「オフ会」には憧れを持っていたのですが,なかなか踏ん切りが付かず,ずっと参加できずにいました。ありったけの勇気を振り絞って参加希望のレスポンスをし,迎えたオフ会当日。期待と不安を胸に集合場所である名古屋駅に向かいました。「はじめまして。TheCCAWです。」と挨拶をしたら「あの謎コテの,TheCCAWさんですか」と言われました。そこで初めて,自分が「謎コテ」と思われていたことを知りました。初めて参加した「名古屋オフ」ですが,本当に楽しかったです。オフラインにおけるスピナーとの交流がこんなに楽しいものだとは,思っていませんでした。その時の様子はPragueさんのブログ記事に詳細に書かれています。(http://matsu222.blog28.fc2.com/blog-entry-367.html)今でもたまに読み返して,当時の楽しかった記憶を蘇らせてはニヤニヤしています。ごめんなさい。


これに気を良くした私は,その後いくつかのペン回しに関するオフラインのイベントに参加します。いずれも,沢山の方々と交流することができ,ここに来て「ペン回しをやっていてよかったな」という,非常にベタな悦楽にひたりました。名古屋オフにも何度か参加をさせていただきました。愛知の方々は本当に優しい方ばかりで,他所者である私を暖かく迎え入れてくださりました。特にPrague氏におかれましては,何度もご自宅に宿泊させて頂いたり,一対一でオフ会をさせていただいたりと,本当にお世話になりました。
(思い起こせば,私が参加したオフ会の殆どにPrague氏はいらっしゃいました。本当にお世話になりました。)


そんな中で,私は数年間滞っていたブログの更新を再開しました。再開した理由はよくわかりませんが,多分自分のペン回しスキルに対する限界を知り,ペン回し技術とはまた違う方面からアプローチすることで目立とうと思い立ったのではないかと思います。こうして考えると全然成長してませんね。ありがたいことに,現在ではコメントも幾つか頂けるようになりました。ブログ自体は,今後も出来る限り続けていこうかと思っています。「何か(ペン回しに関する)意見を発信したい」という気持ちがあるかぎりは,続けられるような気がしているので,そういう気持ちを絶やさぬようにしたいですね。


さて,ペン回しの技術的な側面はどうかと言われると,大学在学中においては目覚ましい技術の向上はできなかったのではないかと思います。上述したように,自分のペン回しスキルに対する限界を知った4年間でした。途中,ペンを回す手を変えてみたり,両手でペンを回してみたりしましたが,どれもしっくり来ませんでした。なんだか回転パターンに対する執着もなくなりつつある現状です。今もなお悩み続けてはいますが「才能の限界はまだ先」だと思っていたあの頃を追憶する日々が,まだまだ続きそうです。




予想だにしない長文になってしまいましたが,以上が「私のペン回しの歴史~TheCCAW編~」です。書いてるうちに「こんなの読んで誰が特をするのか」という気持ちと「自分って成長してないな」という自己嫌悪の気持ちが強くなっていきました。もしかしたらこの記事は今後非公開にしてしまうかもしれませんが,公開している間だけでも私を軽蔑して,ほくそ笑んでいただけたらと思います。


以上

お疲れさまです、Pragueです。
TheCCAWさんの知らない一面を垣間見ることができ要所要所でほくそ笑んでしまいました。
タイトルまで合わせていただいて申し訳ない、とても嬉しかったです。

Re:

>>Pragueさん
コメントありがとうございます。

タイトルの発想に関しましては,勝手に拝借してしまい申し訳ありませんでした。Pragueさんの記事が有する哀愁には遠く及びませんが,ほんの少しでも笑っていただけたのであれば本望です。

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