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「一部のマナーが悪い人間のためにコミュニティ全体がどれほど迷惑を被っているか」について


先生,チグリスだけじゃ,バツですか?

―ふかわりょう



"10人中1人位しか面白いと思わないだろうな"と想像するからこそ感じる面白さってエゴですかね。



さて,テーマを募集して記事を書く試みの第四回です。今回は「一部のマナーが悪い人間のためにコミュニティ全体がどれほど迷惑を被っているかについて,自分自身の体験も交えて書いて欲しい」というご意見をもとに記事を書いてみたいと思います。ここにきて初めての,ペン回しとは直接関係のないテーマです。私のような若輩者には手に余るテーマではありますが,自分なりにチャレンジしてみたいと思います。


まず前提として,私はこのような事象に対して客観的・学術的に意見を述べられるほどに知識が無いということを申し上げておきたいと思います。幸いにも頂いたご意見には「実体験も交えて」とありますので,今回はそういった部分をフィーチャーして記事を書きたいと思います。


コメントでは,一部にマナーの悪い人間のいるコミュニティの例として「ラブライバー」や「喫煙者」といった例が出されました。私自身はラブライバーでもなければ喫煙者でもないので,それらが今回のテーマの事例として適切かどうかということは図りかねます。しかし「心ない一部の人間の行動によって,コミュニティ全体が迷惑を被ってしまう」という事象は認識することができます。ベタな例で言えば「授業中にもかかわらず私語をしている人間が居るせいで,授業が身に入らない」みたいな事でしょうか。


私も(曲がりなりにも)社会の中で生活しているからには,何らかの集団に属しているはずです。そんな中,意図せざるところで自分が「全体に対して迷惑をかけている存在」になっている可能性は否めません。しかしながら,私自身が「一部の心ない人間の行動によって迷惑を被り,激しい憤りを感じた」という経験は今のところありません。迷惑を被った事実は幾度かありますが,それほどまでに憤りを感じたことはなかったと記憶しています。忘れているだけかもしれませんが,思い出せないということは大した憤りではなかったということなんだと判断します。


ではなぜ,自分自身が「心ない一部の人間の行動によって迷惑を被った被害者」であったとしても,あまり憤りを感じないのか。それには2つほどの要因が考えられます。まず第一にコミュニティに対する帰属意識が希薄であるということです。自分がある種のコミュニティに所属している「誇り」みたいなものが,私にはあまりありません。従って,心ない一部の人間の不届きな行動によって全体に迷惑が及んでしまったとしても,その「一部の心ない人たち」を糾弾するようなヒステリックな行動には出難いです。(実害がある場合は,それを解決できるように努力するかもしれませんが。)
第二に,私は「ある程度の規模を有する集団であれば,所属する全員が品行方正な行動をとるわけがない」と諦めているからです。だからと言って,コミュニティ全体のイメージを下げたり,迷惑をかけたりするような行動を肯定するわけではありませんが,そのようなことが起きた場合にどのように対処するか,もしくはそのような行動を事前に防ぐためにはどうしたらいいかを考えることに力を注ぐべきであると思っています。不届きな行動をしてしまった当事者を糾弾したり,被害者面をして実害の程を声高に叫ぶことは,問題解決という視点からすればあまり有効ではないと考えてしまいます。

以上のようなことからも,私は迷惑を被る被害者としての立場よりは,それを解決する立場で物事を考える傾向にあるようです。そのようなスタンスが絶対的な正解だとは微塵も思いませんが…。


私の好きな小沢健二の作品で「犬は吠えるがキャラバンは進む」というタイトルのCDアルバムがあります。彼の言葉を借りれば

"犬は吠えるがキャラバンは進む"というのは僕の好きなアラビアの諺で,正確な意味はよく知らない。だけど例えばこのアルバムで僕が何回か言っているように"俺という犬は吠えるのだが熱力学的キャラバンは全く無頓着に進んでゆく"という風に考えることもできるし,また同じくらい何回か言っているように"犬たちが吠える時にも恐れずに僕たちはキャラバンを進めていくことにしよう"という風に考えることもできて,実際に僕は1日の中で犬になった気分になったりキャラバンになった気分になったりする訳で,では結局これはどっちでもいいいい加減な諺なのだと勝手に決めて、多くのアラビア人や諺学者には悪いけど、この言葉をタイトルにすることにした。

―『犬は吠えるがキャラバンは進む』ライナーノーツより一部引用



ということらしいです。

「迷惑を被るっている人間」をミクロ的に捉えれば,犬に恐れず歩みを進めるキャラバンの気分になれるかもしれません。マクロ的に捉えれば,無頓着に進んでいくキャラバンに対する犬の気分になるかもしれません。そうやって「1日の中で犬になった気分になったりキャラバンになった気分になったりする訳」です。そんな考え方をしている私は,やはりこの問題に対して語るべき人間ではないのかもしれないと今しがた改めて思いました。



なんだか最後の方は自分でも何が言いたいのかよくわからなくなってしまいましたが,この辺りで勘弁して頂きたいと思います。せっかくテーマを寄せて下さったのに,こんな感じになってしまってごめんなさい。やはりペン回しに関係のない事を主題に据えるのは無謀だったなと反省しております。今後はもう少し自分の立場ってものをわきまえたいと思います。


以上


No title

コメントが遅れて申し訳ございません。
テーマについて書いていただきありがとうございました。
人間というのは浅はかなもので、また当たり前のことでは御座いますが、自分のものさしでしかものごとを図ることができません。
自分はマナーを守っている(つもりの)喫煙者ですが、心ない喫煙者から被害を被ったために喫煙者全体を嫌う方は大勢いらっしゃるとお見受けします。
自分がそれらの心ない人間と同じ目線を受けることが耐えられないことが多々ありました。(喫煙に関してはあくまで一例でして他にもこういった体験をしました。)
そういったときに抗議する、不満を言う等、記事中で言う「ヒステリックな行動」に出るというのはやはり大人げないということなのでしょうか。これは私とTheCCAW氏が違う人間である以上結論が出ない話題なのかもしれませんが、自分はそれでも嫌なものは嫌だと言わざるを得ません。
しかし、第二の理由としての「ある程度の規模を持った集団の全員が必ずしも品行方正になるわけがない」ということには納得致しました。
私自身も少しはTheCCAW氏のように大人になるべきなのかもしれませんね。

ありがとうございました。

Re: No title

>>vitaminさん
コメントありがとうございます。

記事中でも申し上げましたが,私はコミュニティ全体のイメージを下げたり,迷惑をかけたりするような行動を推奨するわけではありません。vitaminさんが「心ない人間と同じ目線を受けることが耐えられない」と感じていらっしゃるということは,喫煙者としてある種の誇りを持っていらっしゃるが故の事ではないかと思います。私が想像する「ヒステリックな行動」というのは,まるで「正しければ何をやっても構わない」と考えているかのように,感情のおもむくままに加害者を吊るし上げるようなことです。vitaminさんが,問題解決のために「心ない一部の人間」に対して注意を促していらっしゃるのであれば,それはやはり正しい選択なのではないかと思います。そういう意味でも,私よりもvitaminさんのほうが「大人」なのではないでしょうか。

これもまた記事内で申し上げましたが,私はこの問題に対して完全に知識が不足しています。なので今回述べたことは,あくまで「私が生きる上でこの問題をやり過ごすために考えていること」だと解釈していただければと思います。(言い訳がましいですが)客観的な意見の正確性は度外視しておりますので,その点をご了承くださいますようお願い申し上げます。

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