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ペンスピナー的想像力のリミット


薔薇の匂いを嗅ぐと,たちまち幼い頃の漠然とした思い出が私の記憶によみがえる。実を言うと,これらの思い出は,薔薇の香りによって喚起されたのではない。私は匂いそのもののなかに,それらの思い出を嗅ぐのであって,私にとっては匂いがいま述べたことのすべてなのだ。

―『時間と自由』(ベルクソン著,中村文郎訳)より



私のような若輩者が理解できるものではありませんでした。



私は改造ペンに関する知識に乏しいため詳細は分かりませんが,どうやら現在はペンの改造に弾丸をやアルミパイプを使用したりする時代らしいです。  
参考:ペン達の集会所「A13x mod」(http://annkou2.blog105.fc2.com/blog-entry-888.html


恐らくごく一部においての事であると想像しますが,このような改造が広く普及していく可能性も否めません。考えてみれば,ビニールテープ等ペン以外の素材を使用した改造ペンが許容されている時点で,このような改造方法の出現はある程度は想定できていたことなのかもしれません。ペン以外の素材(弾丸やアルミパイプなど)をベースとした改造ペン(?)に対しては毀誉褒貶あるかとは思います。そういった中でも「ペン以外の素材をベースとした物を改造"ペン"と呼べるのか」引いては「ペン以外の物を回す行為をペン回しと呼称することが正しいのか」といった疑問が多く投げかけられるのではないかということが予測できます。


現状のペン回しに使用される改造ペンの許容範囲には,どのような基準が設けられているのでしょうか。2009年から毎年行われているオフラインイベントである『ナランハペン回しフェスティバル』の2015東京大会のコンテストにおいては以下の様な基準が示されています。

コンテストに使用可能なペン

コンテストに使用できるペンは3本までとし、以下の審査に適応するもののみを許可する。

全長は25cm以内とする。直径、重量は問わない。
回している最中に周囲に危険が及ばないものとする。
ペン先が鋭利であるもの、過度に重く、凶器となりえるものは許可しない。
市販されているペンの部品を使用しているものとする。 ただし、ペン軸は必ず使用すること。
ペンの定義とは、新品の状態で筆記可能であるものを指す。
筆やシャープペンシルなどもこの場ではペンとする。

―ナランハ ペン回し フェスティバル2015 コンテストルールより

http://www.naranja.co.jp/juggling/event/npf/npf2015/contest

凶器となり得るものの使用禁止とペン軸の使用が義務付けられていますが,これらはあくまでコンテスト開催のために設けられた便宜的な基準と言えます。協会等の公的機関が定めたものでない以上,これらの基準が明確な改造ペンの許容範囲を示したものとは言い切れません。
(協会によって主催された”PenSpinning Tournament Japan 2008”においても同様に基準が存在し,それこそが改造ペンと呼ばれるものの定義であると主張することは可能かもしれません。如何せん手元にオフィシャルの資料がないため深くは言及できませんが,詳細をご存知の方がいらっしゃればご一報くださればと思います)


このように未だ明確とは言いがたい改造ペンの定義ですが,当然この手の改造ペンに関する議論は今に始まったことではありません。過去にも改造ペンやペン回しの線引きに関する議論がなされています。代表的なものとして思い起こされるのは,旧JEB内で2006年に立てられた「字が書けないペンは『ペン』じゃなくて『棒』ではないでしょうか」というスレッドです。


スレッド内で行われた議論の枢要な部分を整理すると,以下の様な流れになります。


まずp氏によってスレッドが立てられ
字が書けないペンは『ペン』ではなく『棒』であり,その棒を回して『ペン回し』と言うのはおかしいのではないか?という問題提起がなされます。


これに対してbonkura氏が
『ペン』や『棒』といった呼称の違いはあくまで日常生活レベルにおける区分に適用されるべきで,ペン回しにおいて用いられる用具には特段の区分を設けるべきではない。ペン回しの本質は「回し」という動きにこそあり,回しているものがペンかペンではないかという点にこだわる必要はないのではないか。「ペン」に対しての表層的な定義や他者からの承認にはとらわれず,好きなものを好きな方法で回し,楽しむことがペン回し本来のあり方ではないか。という意見で応じます。


このbonkura氏の意見に対して,Crasher氏は「起源的なペン回し」という視点から
世間一般に流布し,HIDEAKI氏が研究対象とした「起源的なペン回し」においては”回転”という要素は一面的なものにすぎない。その一面的な要素のみを抽出してペン回しの本質とすることは筋違いではないか。「起源的なペン回し」という視点から考えれば,”ペン”を回すことにこそ価値があり,私はそのようなペン回しを大切にしていきたい。「ペンを回すことに価値を見出す人」逆に「回すことにこそ価値を見出す人」双方の存在を前提としたうえで,自分の立場を明確に示し,お互い必要以上に干渉せずに共存することが最善の策ではないだろうか。 と反論します。


これを受けてbonkura氏は自身の考えを改めたことを表明したうえで
ペン回しがその起源において「世間」に根ざした存在である以上,「世間」の認識から逸脱した常識はずれの”遊び道具”を使うことは避けねばならない。 過去から受け継がれる「流れ」を忘れ,それらを顧みずに人それぞれの好みを主張するのみでは思考停止と同義である。しかし,それら「起源的なペン回し」を考慮した上でなお。「現在(2006年当時)の流れが必ずしも起源・本質から逸脱しているわけではない」と考える。起源より連綿と引き継がれてきた回転重視やジャグリング志向の萌芽が今ようやく目に見える形になってきただけとも解釈できる。必要なのは,互いを否定せず認め合い共存しようとする姿勢ではないか。と Crasher氏の意見に共鳴する形へと帰結します。

※以上はbonkura氏とCrasher氏のやり取りを私の解釈を含めたうえで簡単に要約したものなので,全体的な議論の流れを正確に把握したい方は,以下の参照元ページをご覧いただければと思います。
http://penspinning.jp.land.to/phpBB2/viewtopic.php?t=707&postdays=0&postorder=asc&start=0


これらは10年程前に立てられたスレッド内でのやり取りです。もちろん弾丸などを使用したペンを想定した議論ではないとは思いますが,現状に鑑みても意義深い内容です。
上記の議論に照らし合わせて考えれば,現在活動しているスピナーの九分九厘が「回し」に重点を置いたペン回しを行っていると言えます。bonkura氏がおっしゃっている「起源より連綿と引き継がれてきた回転重視やジャグリング志向の萌芽」が10年近くの時を経て,確立・発展期を迎えていると考えられます。その象徴として,Kay氏のようなエンターテイメント性に軸を据えたペン回しや,空中技・両手を用いたペン回しの顕在化が挙げられます。


では,Crasher氏が主張した”ペン”に主眼を置いた「起源的なペン回し」はこの10年程でどのような経過をたどったのでしょうか。2006年時点でも,Crasher氏が「ペン回しが棒回しになってしまうことは悲しい」と回転重視のペン回しばかりが普及している事を嘆いていらっしゃいますが,恐らくはその後も「起源的なペン回し」の重要性が説かれる機会は少なく,衰退の一途をたどったまま現在に至っていると思われます。現在も未改造ペンのみを回し続けるスピナーは存在します。(僭越ながら私もその一人です)しかしながら,それらのスピナーが必ずしも”ペン”を回すことに価値を見出しているとは限りません。かく言う私も,回転に特化したペン回しに憧れてペンを回しを始めた人間です。未改造ペンを使用している事が,イコールで「起源的ペン回し」を意識しているとは言えません。


現在のように回転重視のペン回しが普及している様子を見れば,ルーツや歴史等の視点からペン回しを研究対象とみなして活動されている方がいらっしゃるとは考えにくいです。起源と考えられる,授業中や暇な時に恣意的に行われる行為を意識したペン回しをしていらっしゃる方もあまり多くないのではないかと予想します。(もしかしたら”コリアンスタイル”と呼ばれるものがこの発展形に位置していると言えるのかもしれませんが…)


上記のようなことを踏まえると,”回転”に軸を据えたペン回しがフィーチャーされている現状では,回しやすさを追求した結果として弾丸を使用した改造ペンが登場することも(公式的に認められるものかどうかは別として)至極当然であるように思えます。多くの人間がペンであることに価値を見出さず「起源とか小難しいことは置いといて,とりあえず楽しくペンを回そう」という思考に至っているのであれば,セロテープや接着剤が許容されて,弾丸が禁止される理由はないのではないでしょうか。


私個人としても,bonkura氏及びCrasher氏が主張するように「ペンを回すから価値があるという人間」「回すことにこそ価値があるのだという人間」の双方が,互いを否定せず認め合い共存しようとする姿勢をとること。そして,自分自身がどちらの立場にある人間なのかを表明することが重要だと考えます。


それらを考慮したうえで,私は以下の二点を憂慮しています。まず第一に,回転パターンへの追求が普及しすぎて,「起源的なペン回し」というものに対する意識が(全体として)あまりに希薄化しすぎているのではないかという点。第二に,現在の”回し”を偏重したペン回しが今以上に発展し,ペンの長さなどにも際限がなくなっていくことにより,バトントワリング等の競技との差異がなくなってしまうのではないかという点。それに伴って今以上にペン回しとしてのルーツが忘れ去られ,消失してしまうのではないかという危惧は,第一点目にも関連するところです。
後者に関しては杞憂に過ぎないかもしれませんが,前者における問題点は明白です。実際にHIDEAKI氏の「私のペン回しの歴史」以降,ルーツや歴史に絞り込む形でペン回しに対して言及したサイトは見受けられません。本来の意味での普及や伝承(引いては発展)を考えるのであれば,「起源的なペン回し」をベースとし,ルーツや歴史などの研究・考察に今以上の注目が集まって然るべきではないかと考えます。bonkura氏がおっしゃっている「過去を顧みず、違いを認識せず、ただ『十人十色』を叫ぶだけでは思考停止と同じことです」という言葉を肝に銘じる必要があるのではないでしょうか。



弾丸を用いた改造ペンの存在に衝撃を受けたことに始まり,少々脇道にそれる形でペン回しに関しての意見を書かせていただきました。少々要領を得ない記事になってしまいましたが,この記事を御覧頂いたことをきっかけに,ペン回しに対する自分自身の意見を持っていただけたら幸いです。ご意見やご指摘などございましたら,遠慮なくコメントをお寄せください。

以上


「筆記可能」「25㎝以内50g未満」など無理矢理にでも定義してしまうという考えを持っているのですが、それをするにしても資料が不足していると感じます。

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