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カラーテレビにしたって 色はいろいろあるでしょ


Hot な Soul 強気で Go!
平凡な毎日じゃつまんない!―島袋寛子

「平凡な毎日じゃつまんない!」って
小学生の女の子に言われても困っちゃう―タモリ


この記事はペン回し Advent Calendar 2015の参加記事です。

ペン回し以外の分野において流行しているイベントをペン回しの世界に取り入れる試みは,とても素敵な取り組みだと思います。今後もこのような形の企画が盛り上がりをみせていくことを切に願っています。今回このイベントを企画してくださったEaseさんには,この場で改めてお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。


個性とオリジナリティについて

 先日,某所にて「最近のスピナーには個性がない」という趣旨の発言を見かけました。それがきっかけとなり個性やオリジナリティについて考える機会があったので,頭の整理も兼ねて考えをまとめてみたいと思います。今後,ペン回しの個性やオリジナリティについての議論をする際の叩き台にでもなればと思っています。


 まずは,この場における言葉の定義から明確にしたいと思います。ペン回しにおいて用いられる『個性』という言葉に対する私の基本的な考えは,turugi氏が個性と構成に関する論にて示されている考えに準拠しています。その内容を端的に言い表せば,ペン回しにおける個性とは,単一性とキャラクター性という2つの要素の包括的な概念であるということです。
 turugi氏は「単一性」とはその本人しか持ち得ない要素であるとしています。これに関して,補足を目的として養老孟司氏が個性に関して言及したものを引用します。

世間に押しつぶされそうになってもつぶれないものが「個性」です。
結局誰しも世間と折り合えない部分は出てきます。それで折り合えないところについては,喧嘩すればいいのです。それで世間が勝つか,自分が勝つかはわかりません。でも,それでも残った自分が「本当の自分」のはずです。
(中略)
日本の伝統芸能の世界は,そのことをよく示しています。入門した弟子は,まず徹底的に師匠の真似をさせられます。
「とにかく同じようにやれ」
その過程が10年続きます。
そんなふうにしても師匠のクローンをつくることはできません。どこかがどうしても違ってくる。その違いこそが,師匠の個性であり,また弟子の個性でもあります。徹底的に真似することから個性は生まれるものです。

―養老孟司「自分の壁」より


 ここで養老氏が言う「個性」とは,turugi氏が提唱している単一性と同義です。ペン回しについて言えば,他人のオーダーをコピーしてもお手本と全く同じ様にはならないものです。その出来は自分自身が持つ固有の要素(手の形や手癖,環境など)に大きく左右されます。それは,時として強みとなったり弱みとなったりするかと思います。
 しかし,養老氏の主張する「個性」(=単一性)をそのまま「ペン回しにおける個性」に置き換えるとなれば,どのスピナーも押し並べて個性的であるという結論に至ってしまいます。(仮にも)表現の世界においてそのように定義されてしまうことは都合の悪いことです。そこでキャラクター性という概念が登場します。


 turugi氏はキャラクター性を「各人のオーダーの傾向」と定義されていますが,私はより広義に「単一性を魅力的に表現するための手段」と捉えています。そして,それこそがペン回しにおける『オリジナリティ』であると考えています。以前「オリジナリティとは”他人との比較”によって生まれるものである」という内容の対談を引用した記事を書きました。(参考:なぜDr.GRIPを回すのか)つまりオリジナリティとは天性のもので本人の中から湧き出してくるもの(単一性)ではなく,大多数との比較によって意図的に生み出していくものであると言うことです。ペン回しについて言えば,他のスピナーと比較したうえでのオーダーの傾向や,ペン・背景・撮影機材の選択,指使い等の組み合わせであると言うことができるかもしれません。


簡単にまとめると
個性とは:単一性とキャラクター性(オリジナリティ)とを包括した概念
オリジナリティとは:単一性をより魅力的に表現するための手段
重要なのは自分自身固有の単一性をしっかりと把握すること。そして,その単一性を魅力的に引き出すキャラクター性を構築することができるかです。すなわちオリジナリティによって単一性の魅力を(最大限に)引き出せている状態こそ「個性的」と呼ぶことができます。

(※ペン回しにおける個性の類語としては「独創的」という言葉が挙げられるかと思います。独創性に関しても個性やオリジナリティとはまた違った意味の捉え方が可能かと考えられますが,長くなってしまいそうなので,また機会があれば考えをまとめたいと思っています。)


以上を踏まえたうえで「(最近のスピナーは)個性がない」という問題について考えます。
 「最近のスピナーは個性がない」といった類の発言は「最近の若者はなっていない」と同じように,いつの時代も囁かれ続けているような気がしています。上記に照らし合わせれば「個性がない(個性的でない)」状態とは,自らの単一性を魅力的に引き出せていない状態という事になります。すなわちオリジナリティの欠如です。そしてそれはペン回しの世界に限らず,数多のジャンルにおいて叫ばれているように感じます。以下はギタリストのChar氏がオリジナリティについて発言した際のものです。

Char:
最近そういう(カリスマ性のある)ギタリストがいない。"俺"っていうんじゃなくて,上手いとか下手とかすべてをひっくるめてかっこいいなっていうか,こいつの何かを真似したいと思う(人がいない)

野村:
もちろん日本でも向こう(海外)でもね。
刺激がある人(が居ないということ)?

Char:
っていうかやっぱりオリジナリティかな

(幼少期に偶然の誤解からギターコードを発見したという話題を挟み)

Char:
そうやって発明したり誤解していくことが,今はしづらいんだと思う。

野村:
教則本もいっぱいあるし。

Char:
そうそう。「こうやって弾くんだよ」とかって教えちゃったり見せちゃったりしちゃうから。そこで,テレビゲームと一緒でエンディングがもうはっきりしちゃってるじゃん。これができたら終わりって。

野村:
最後のボスもわかってるわけだしね。

Char:
っていうか間違えちゃいけないんだから,だって。そこ間違ってるよってすぐ言われちゃうわけじゃん。素人に,「そこ違うよ」なんて。
でも俺らは間違いの塊でここまで来てるわけだから,堂々とやった奴の勝ちなわけよ。

―野村ギター商会:Charゲスト回より (参考:動画


 私自身は音楽の世界に詳しいわけでもなければギターが弾けるわけでもないので,ギターのテクニックや音楽性については言及できません。しかし,Char氏の発言には一定の説得力を感じます。Char氏の主張は,情報が手に入りやすい環境が整った弊害として,多くの人間がオリジナリティの欠如に至っているという話です。ペン回しの世界においても,似たような指摘が見られるように思います。以下は2010年にAcia氏によって書かれた記事の一部です。

何がつまらないかって、みんな同じ所しか目指してない。
最近のスピナーがいわゆるウマコテにまで格上げされないのはここに原因があると思います。

昔は、お手本がなかった。
資料室やよいこのペン回し教室みたいなところで、今から見ればちょっとした基礎の技しか載っていない。そこには限度があり、それ以上は示されるものが何も無い。ネトゲのチュートリアルが終わった状態みたいなもんです。

ではそこからどうするか。
そこが古参と新参の差。

古参は自分で技やコンボ、流れを考えて、常に周りを驚かせるような努力をしていた。
数々のコンボが開発され、それをコピーし、さらに発展させる。
そうやってペン回し界は発展してきました。

だから古参には、自分で切り開いた、ウマコテが作った道がある。これが魅力となっている。
つまりウマコテっていうのはそれだけ努力してるんだと思います。意識せずとも熱中している時にいろいろ考えたでしょうし。

しかし最近の人にはこれがない。
お手本がありすぎる。そしてウマコテとの実力差はれっきとしたものであり、技術的な限度はとんでもなく高い。つまり、与えられているものしかしないようになってしまい、考える必要がなくなった。
「あ、これかっこいい」それだけをやる。「こんなことができたらすごい」はしない。
「こんなことができたらすごい」に既出とかそう云う概念はない。自分がしたいからやるんです。


もちろん「あ、これかっこいい」の人にも上手い下手はあります。それが努力と才能で形成されているというのも分かる。が、最近のスピナーで「こいつは自分のペン回しをしている」と感じさせられるスピナーはほとんど居ません。大体が「他人から与えられたペン回し」なんですよ。

発祥が他人なんだから、当然見覚えがあるものばかりになります。
ウマコテの絶対数というものは少ないがゆえに、お手本となるソースは限られているから。

そしてそれはオリジナルではなくあくまでもコピー。本来の魅力はそこにはない。
同じ技をやっていようが、スタイルがかっこよかろうが、指がきれいだろうが、魅力がないんですよ。
だから、つまらない。

―「Acia CV論+α」『ペン回しの品格』より一部引用

http://blog.goo.ne.jp/penspinlove/e/c07d11151ae997bd54be1b9bb6ec8d2f

 少々長くなってしまいましたが記事の一部をそのまま引用させて頂きました。Acia氏がこの記事内で仰っていることは,上記したChar氏の主張と酷似しています。同義と言っても過言ではありません。それらは最近のスピナーが没個性的であると言われる所以の核心をつくものであるように思います。


 ペン回しの諸技術に関する情報の取得が容易になり,そういった環境が整ってきていることは非常に喜ばしいことでもあります。しかし,それによる弊害も看過できないということです。誤解がないように言っておくと「特定の誰かに憧れるな」とか「他のスピナーのマネやコピーをするな」という考えを推奨するわけではありません。今までペン回し界の第一線で活躍されてきたスピナーの方々も,誰かに憧れ,誰かを尊敬して,誰かを真似することでペン回しを上達させてきたはずです。真似することは,単一性を見出すきっかけや,キャラクター性の構築にも繋がります。しかし,真似することそれ自体がペン回しの魅力ではないはずです。FSのコピーはゴールではなく,あくまで上達するための手段の一つに過ぎないということです。ベタな表現を使えば,肝心要なのは,情熱と強い向上心です。ただ技術に長けただけの人間にはあまり魅力を感じられないことでしょう。


 少しだけ主観的な意見を述べると,今のペン回しの世界には,もう少しだけ生意気で絶対的な能力の高い人が居て欲しいという印象を持っています。オリジナリティを生み出すことができるのであれば,もっと卑怯な手段を駆使しても全く差し支えないと思っています。誰に何を言われてもそれを貫くことができれば。



長くなってしまいましたが,以上が私の個性とオリジナリティに関する考えのまとめです。
敷衍に書くことができなかった部分が多々ありましたが,そのあたりは感じ取って頂けたら幸いです。
感想や批判・反論をお待ちしております。


以上

No title

こちらこそ参加ありがとうございました。
引用記事も含めてとても興味深い考察でした。
とくにオリジナリティに関する記述はとても面白いですしはっとさせられました。
これに関しては、自身の単一性を把握していて意図的にその魅力を引きだしている人と、無意識のうちにその魅力を引きだしている人がいるなぁと思います。そのプロセスの中で生まれる、各個人におけるFSの良し悪しの基準は一体何なのだろうとかというところが、実は最近気になっているところです笑

Re: No title


>>Easeさん

コメントありがとうございます。

確かに,単一性の把握やオリジナリティの構築について,意図的であるか無意識的であるかという違いを感じることはあります。ペン回しに限らず,単一性の魅力を無意識的に引き出すことができる人たちは,一般的に「天才」と称される人たちなのではないかと思います。また,そのような個性やオリジナリティ等を超越して,純粋に魅力的なものの創作を求める要素を含むものが「独創性」ではないかと,おぼろげながら考えています。
「そのプロセスの中で生まれる、各個人におけるFSの良し悪しの基準」に関しては,各個人の美的感覚が大きく影響している,非常に複雑な問題だと思います。以前記事にもしましたが,何に憧れてペン回しを始めるかが違ってくるために,FSの良し悪しの基準・上手いと感じる基準が世代ごとに大きくズレてくる可能性があるのではないかとも考えています。

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